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藤ノ川成剛の母は?父は?甲山親方(大碇)?兄弟力士なの?家族まとめ。

力士

こんにちは。りんご桜です。
最近、父親の背中を追って角界入りする二世力士の目につきます。
そして、二世力士である琴桜、王鵬などの活躍は目まぐるしいですね。
若手力士でも二世力士が登場しています。元幕内・大碇(おおいかり)で伊勢ノ海部屋の部屋付きの甲山親方(かぶとやまおやかた)の長男である藤ノ川(ふじのかわ)」もその一人。2025年7月場所で、幕内に昇進したのを機会に若碇(わかいかり)から藤ノ川に四股名を変えました。
2023年の1月場所での『新序出世披露』で父の化粧まわしをつけた姿を披露し、話題を呼びました。
今回はその藤ノ川(若碇)は母は?父は?兄弟力士?家についてお届けします。

藤ノ川成剛は母は?死因は?

藤ノ川成剛の母は齋藤直美(さいとうなおみ)さんです。

亡き母・齋藤直美さんへの深い想いと、その願いを叶えようとする強い意志がありました。今回は、藤ノ川関の母であり、若くしてこの世を去った直美さんの人生と、その最期について、心に寄り添うようにまとめてみました。

突然の悲劇、34歳で永眠された直美さん

齋藤直美さんは、神戸出身の女性で、2004年に元幕内力士の大碇(現・甲山親方)と結婚されました。京都で盛大な結婚式を挙げ、角界関係者をはじめ約600人が祝福したといいます。しかし、幸せな時間は突然終わりを告げました。2013年、直美さんはわずか34歳という若さで帰らぬ人となりました。

この悲劇的な出来事のわずか3ヶ月前には、一番下の愛娘、世奈ちゃんを病気で亡くしています。連日の看病で心身ともに疲れ果てていた直美さんは、そのさなかにがんを発症。死因はがんだったそうです。東京都内の自宅で療養中に容体が急変し、病院に運ばれましたが、力尽きてしまいました。

幼い兄弟と、残された父の絶望

当時、長男の藤ノ川関は小学3年生、次男の碇潟(いりがた)は小学1年生、三男の夕剛くんは幼稚園の年少さんでした。

朝まで元気だったお母さんが、帰宅するともういない。幼い藤ノ川少年の心に刻まれた深い悲しみは、断片的な記憶としてしか残っておらず、言葉にするのは難しいと語っています。「悲しかったけど、いつ立ち直ったかは分からない」という言葉からは、幼い心がいかに深い傷を負っていたかが伝わってきます。

そして、妻を亡くし、幼い3人の子どもを抱えることになった夫の甲山親方は、深い絶望の淵に立たされました。「これからほんま、どうしたらいいのかな…」という言葉は、突然の悲劇に直面した親方の心の動揺を如実に物語っています。

 

母の願いを胸に土俵へ

直美さんは、幼い藤ノ川に「お相撲さんになって」と願っていたそうです。藤ノ川は、その母の願いを叶え、立派な関取になりました。そして、弟たちも兄の背中を追い、相撲の世界を歩んでいます。

きっと、天国から見守っている直美さんも、息子たちが夢に向かって懸命に努力する姿を誇らしく思っていることでしょう。藤ノ川の強さは、母の願いが彼の心の支えとなり、原動力となっているからなのかもしれませんね。藤ノ川のこれからの活躍を、直美さんも見守っているはずです。藤ノ川の相撲人生は、母との絆、そして家族の愛に支えられているのだと感じました。

 

 

藤ノ川成剛の父は?甲山親方(大碇)なの?

藤ノ川の父は、伊勢ノ海部屋の部屋付きの甲山親方で、元幕内・大碇  剛(おおいかり つよし)です。

京都商業(3年生より京都学園)高校時代には全国大会の優勝経験があり、同志社大学でも全国大会で活躍しました。伊勢ノ海親方や後援会のスカウトで入門を決意し、伊勢ノ海部屋に入門し、「大碇」の四股名で1995年3月場所に幕下付出(60枚目格)で初土俵を踏みました。突き押し相撲を得意とします。

2004年11月場所を最後に現役を引退、準年寄・大碇を襲名しました。

2005年5月に年寄・甲山を襲名し、現在は伊勢ノ海部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっています。

藤ノ川も伊勢ノ海部屋に所属しているので、息子の指導もされているのでしょう。父としても、親方としても、近くで成長を見守ることができていいですね。

<大碇 剛の現役時代プロフィール>

四股名  大碇 剛(おおいかり つよし)
本名   齋藤 剛(さいとう つよし)
生年月日 1972年6月16日
出身地  京都府京都市西京区
身長   177cm
体重   137kg
所属部屋 伊勢ノ海部屋

また、早くに妻の直美さんを亡くされたため、男でひとつで3人の息子を育てます。大変だったと思いますが、父の背中をみてきた息子たちは、しっかり父と同じ道を一生懸命歩んでます。

藤ノ川成剛の兄弟がいるの?弟は?

藤ノ川は三人兄弟の長男です。

藤ノ川の弟(次男)である碇潟 忠剛(いりがた ちゅうごう)が2025年1月場所、初土俵を踏みます

埼玉栄高校相撲部出身の碇潟は、2023年の相撲インターハイ優勝、2024年の関東高等学校相撲大会無差別級優勝など、数々の輝かしい実績を残してきました。特に、2024年の国民スポーツ大会相撲少年個人では4位入賞を果たし、その実力を全国に知らしめました。

相撲協会の新制度が後押し

今回の初土俵は、相撲協会の新制度によるものも大きいと思います。高校生の三段目最下位格付け出しが初めて可能となり、碇潟はまさにその第一号となったのです。これまでは、アマチュア横綱や学生横綱に与えられていた幕下での付け出し資格が廃止され、代わりに全国高校選手権や国体の4強以上に、一律で三段目最下位格付け出しの資格が与えられることになったのです。

父譲りの激しい相撲に期待

176センチ、115キロという恵まれた体格に、父を彷彿とさせる激しい突き、押しが持ち味です。高校時代からその力強い相撲は注目を集めており、今回の初土俵でも、その才能を遺憾なく発揮してくれることでしょう。

兄弟力士の誕生に注目が集まる

兄の藤ノ川も幕の内力士として活躍しており、兄弟揃っての活躍が期待されます。兄弟力士の誕生は相撲界では珍しいことではありませんが、藤ノ川と碇潟の兄弟は、互いを刺激し合いながら、共に成長していくことでしょう。

今後の活躍に期待

高校生の初土俵は異例のことですが、碇潟の活躍に期待が高まります。相撲界に新たな風が吹き込むか、今後の活躍が楽しみです。

兄弟の絆とライバル心

兄弟は、お互いに自分のことに集中しており、頻繁に連絡を取り合うわけではないそうです。しかし、兄弟としての絆と、互いを刺激しあうライバル心はしっかりと存在しています。碇潟は、兄の背中を追いかけながら、自分自身の道を切り開いていきたいと考えています。

【碇潟 忠剛プロフィール】

四股名 碇潟 忠剛(いりがた ちゅうごう)
本名  斎藤 忠剛(さいとう ちゅうごう)
身長  176cm
体重  115kg
所属  伊勢ノ海部屋
得意技 突き、押し

兄弟力士またまた誕生です。角界では兄弟力士の活躍が目まぐるしので、いまから、注目したほうがよさそうですね

なんだか強そう!↓↓

三男は藤ノ川の5つ年下で名前は齋藤 夕剛(さいとう ゆうごう)さん

2025年3月、江戸川区春江中学校卒業後、4月に兄たちの母校でもある埼玉栄高校へ入学。

夕剛さんも相撲に打ち込んでいるようです。こちらも今後大注目ですね。

また、2025年9月15日に行われたトークショーで息子たちのことを甲山親方はこう語っています。

「長男はここまで順調に幕内まできました。引き続き、ケガのないように。本人も言ってますが、幕内で勝ち越しましたし、次は三役を目指して頑張ってもらいたい。次男は幕下3場所目ですけど、まず1つ目の目標は関取です。そこに上がれば、次の目標にステップアップしてもらいたい」     引用:ニッカンスポーツ

また番付はどこまでいけるかについても言及した。

「どこまでいけるかっていう予想はなかなかできないんですけど、私の夢は三男が入って、幕内で同じ時期に活躍してくれたら、もう死んでもいいかな。死にたくはない(笑い)。しばらく活躍するところは見たいですね」引用:ニッカンスポーツ

父の願いをかなえるため三兄弟にはがんばってほしいです。

 

まとめ

・藤ノ川成剛の母は齋藤直美さんの息子です。
2014年、藤ノ川が小3のときに、母・直美さんは亡くなりました。

・藤ノ川は、伊勢ノ海部屋の部屋付きの甲山親方で元幕内・大碇が父です。

・藤ノ川は三人兄弟の長男です。
2つ下の弟の碇潟は2025年1月場所が初土俵。
5つ年下の弟の夕剛も相撲に取り組んでます

いかがだったでしょうか?
藤ノ川は東京出身ですが、父の影響か普段は関西弁を話すそうです。
ここまで親子で似てくるのですね。おもしろいですね。
弟2人もきっと何年後か角界に入るでしょう。それまで目が離せませんね。
兄である藤ノ川が幕内力士になったことが、弟2人にもいい刺激になっているのではないでしょうか。楽しみですね。

 

 

 

 

 

 

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