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藤ノ川・歴代は?(服部祐兒は?・若碇)由来は?力士情報

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  1. こんにちは。りんご桜です。

2025年7月場所にて、伊勢ノ海部屋(いせのうみべや)から新たな幕内力士が誕生しました!

5月場所までは、「若碇(若碇)」という四股名で活躍してましたが、新入幕を機に改名したのは、伊勢ノ海部屋に代々受け継がれてきた伝統の四股名「藤ノ川(ふじのかわ)」です。引き締まった表情で番付表の自身の四股名を指差す姿は、まさに新時代の幕開けを予感させます。

今回は、藤ノ川・歴代力士について(服部祐兒は?・若碇)由来は?力士情報をお伝えします。

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藤ノ川・歴代は?

大相撲の世界には、親から子、師から弟子へと受け継がれる「四股名」があります。

その中でも、伊勢ノ海部屋の歴史を語る上で欠かせないのが「藤ノ川」という四股名です。この度、38年ぶりにその名が復活し、部屋の幕内力士としては6代目となる「藤ノ川」が誕生しました。

今回は、初代から148年もの長きにわたり受け継がれてきた「藤ノ川」の歴代力士たちをご紹介しまます。

初代・藤ノ川忠之助(明治2年 初土俵)

「藤ノ川」の歴史は、明治2年(1869年)に初土俵を踏んだ藤ノ川忠之助から始まります。彼は引退後、8代目伊勢ノ海を襲名し、部屋の礎を築きました。

3代目・藤ノ川秀剛(昭和11年 初土俵)

時代は進み、昭和11年(1936年)に初土俵を踏んだのが3代目藤ノ川秀剛です。彼もまた引退後に10代目伊勢ノ海を襲名し、相撲史に名を残す横綱・柏戸を育て上げた名伯楽として知られています。

4代目・藤ノ川豪人(昭和36年 初土俵)

「牛若丸」の異名で親しまれたのが、昭和36年(1961年)初土俵の4代目藤ノ川豪人です。三賞を7回も獲得するなど、その高い技能で土俵を沸かせました。引退後は11代目伊勢ノ海を襲名し、部屋の伝統を守り続けました。

藤ノ川・歴代は?(服部祐兒)

5代目・藤ノ川祐兒(服部改め)

学生横綱2度、アマチュア横綱2度など、なんと17冠という輝かしい実績を引っ提げて入門したのが、服部改め5代目藤ノ川祐兒です。将来を嘱望されていましたが、残念ながら腰痛のため1987年名古屋場所後に26歳という若さで現役を引退することになりました。

通常、引退した力士の多くは大相撲の世界に残りますが、服部さんは異色の道を選びました。なんと、アマチュア相撲の指導者を目指して筑波大学の大学院へ進学し、体育学修士の学位を取得されたのです。

その後、東海学園大学で相撲部を創設し、監督などを歴任。そして現在は、同大学経営学部経営学科の教授として教鞭を執られています。相撲界への情熱は尽きることなく、日本相撲連盟の評議員としても相撲の普及に尽力されているそうです。

相撲界での経験と、大学で培った知識を活かし、幅広い分野で活躍されている服部さん。残念ながら、2025年の6月に64歳という若さで亡くなられました。

ただ、服部さんのように一度は引退した分野でも、異なる形で貢献できる道があるのは素晴らしいことだと感じました。

藤ノ川・歴代は?現在は若碇。由来は?

6代目の藤ノ川(若碇改め)

実は、6代目の藤ノ川(当時、若碇)が新十両会見の際に「入幕したら父の四股名である『大碇』を襲名することも考えている」と話していたことをご存知の方もいるかもしれません。しかし、今回発表されたのは「藤ノ川」。この改名には、あるエピソードがあったんです。

現在の伊勢ノ海親方の話によると、先代である11代伊勢ノ海親方(4代目藤ノ川)が「藤ノ川を、オレが生きている間に付けてもらえたらうれしいな」と話されていたそうです。その言葉を受け、次期幕内昇進の際には「藤ノ川」を襲名させようという話は進んでいたとのこと。ただ、これほど早く実現するとは思っていなかった、と伊勢ノ海親方も驚きを隠せなかったようです。

この「藤ノ川」という四股名は、明治時代の藤ノ川忠之助に始まり、伊勢ノ海部屋で代々受け継がれてきた伝統ある名前です。部屋によると、初代から数えて実に148年もの歴史がこの四股名には詰まっており、藤ノ川自身が6代目にあたるそうです。

「重圧は多少あるが、しこ名に負けない相撲を取りたい」と語る藤ノ川。彼の引き締まった表情からは、伝統ある四股名を背負うことへの覚悟と、今後の活躍への強い決意が感じられます。

「藤ノ川」への改名は、部屋が藤ノ川関の活躍にいかに大きな期待を寄せているか、よくわかりますね。この伝統と期待を胸に、藤ノ川関が土俵でどのような相撲を見せてくれるのか、今から本当に楽しみですね!

藤ノ川の力士情報

大碇を父に持ち、幼少から相撲漬けの日々!

藤ノ川は、元幕内力士である大碇の長男として、東京都江戸川区に生まれました。なんと5歳から相撲を始め、東京の小松竜道場に通っていたそうです。まさに、相撲のDNAを受け継ぎ、幼い頃から相撲と共に歩んできた人生なんですね!

努力が実を結んだ中学・高校時代

中学校時代は、軽量に苦しみ、2年生までは全国大会への出場は叶いませんでした。しかし、中学3年生になると才能が開花! 全国大会に出場できるようになり、全国少年相撲選手権大会では団体優勝という輝かしい実績を残しました。

高校は相撲の名門、埼玉栄高校に進学。3年時には相撲部の主将を務め、全国高校相撲宇佐大会で個人ベスト8、国体個人ベスト16など、高校相撲界でもその実力を遺憾なく発揮しました。

大学からの誘いを断り、プロの世界へ!

高校での実績から、複数の大学から勧誘があった藤ノ川。しかし、選んだのは大学進学ではなく、大相撲の世界への飛び込みでした。この決断の背景には、10代甲山親方からの「早く入門したほうが良い」という助言があったそうです。

そして、2022年12月11日には伊勢ノ海部屋への入門を発表。高校卒業を待たずして、2023年1月場所で早くも初土俵を踏みました。後に藤ノ川自身が「4年後よりもベストなタイミングで入ったと思う」と語っているように、まさに運命的な決断だったと言えるでしょう。

藤ノ川のこれまでの道のりを見ると、恵まれた環境だけでなく、本人の努力と決断力があったからこそ、今の藤ノ川があるのだと改めて感じます。今後の彼の活躍から目が離せませんね!

まとめ

・2025年7月場所で、伊勢ノ海部屋から「若碇」が「藤ノ川」に改名し、新幕内力士として誕生しました。

・「藤ノ川」は伊勢ノ海部屋に代々受け継がれてきた伝統ある四股名で、今回の新藤ノ川は6代目です。

・6代目藤ノ川は、元幕内力士・大碇の長男で、5歳から相撲を始め、中学・高校で実績を残し、大学の誘いを断りプロ入りしました。

いかがだったでしょうか?

伊勢ノ海部屋に新たな歴史を刻む、六代目「藤ノ川」が誕生しました。伝統あるこの四股名を背負い、新時代の幕開けを予感させる相撲人生は、まさにこれからの大相撲を牽引する期待に満ちています。伝統の重みを感じつつも、「重圧は多少あるが、しこ名に負けない相撲を取りたい」と語る引き締まった表情は、すでに大器の片鱗を見せていますね。歴史ある四股名「藤ノ川」の名に恥じぬ活躍、そして相撲界の新たな顔となる日を、心から楽しみにしています!

藤ノ川のこれからの土俵での活躍に、ぜひご注目ください!

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