こんにちは。りんご桜です。
大相撲の世界には、若手の台頭が目覚ましい一方で、長年にわたり土俵を守り続けるベテラン力士の存在があります。そんな中、私が今、最も注目しているのは佐田の海(さだのうみ)です。
2003年の入門から、今年で38歳を迎える大ベテラン。決して平坦な道のりではなかったはずです。何度も怪我を乗り越え、昇進や降格を経験しながらも、土俵に立ち続けるその姿には、並々ならぬ相撲への情熱と覚悟を感じます。このブログでは、そんな佐田の海の父、母、祖父について、また出身の小学校・中学校(学歴)も紹介したいと思います。
佐田の海の父は?現在は
佐田の海の父親は元小結の佐田の海 鴻嗣(さだのうみ こうじさん)(本名を松村宏司さん)です。
「佐田の海」という四股名は父親から譲り受けたものだったのですね。
㊗お誕生日おめでとう(7月19日)⑤
元大相撲小結の佐田の海鴻嗣さん(📷①)が本日64歳のお誕生日を迎えました🎂👏 息子は幕内力士・佐田の海貴士関(📷②)。#sumo pic.twitter.com/Ob4iitj3hm
— Kinsho@㊗️AKB48・9期生は永久に不滅です! (@knj30312) July 18, 2020
父の元小結の佐田の海は、豪快な右四つからの寄りで、土俵を沸かせた元力士です。
さすが親子似てますね。
大阪府堺市で生まれ(熊本県阿蘇市出身)、中学卒業後に出羽海部屋に入門しました。1972年3月場所で初土俵を踏み、最高位は東小結。182cm、132kgの恵まれた体格を活かした力強い相撲で活躍しました。
1985年7月場所中の14日目、惜しまれつつも現役を引退。引退後も年寄として日本相撲協会に残り、後進の指導にあたっていました。
親方を退職した佐田の海さんは、第二の人生として大阪府東大阪市でちゃんこ料理店「相撲茶屋 佐田の海」をオープンしました。
ご自身が現役時代に親しんだちゃんこ鍋を、お店で提供しています。残念ながら、現在は娘さんがお店を切り盛りされているそうです。それでも、元力士が作る(今は作っていた)本場のちゃんこを味わえるのは嬉しいですよね。
佐田の海さんの相撲人生、そして引退後の新たな挑戦は、私たちに多くの活力を与えてくれます。いつかお店を訪れて、佐田の海さんの第二の人生の味を楽しんでみたいですね!
佐田の海の母は?
そんな佐田の海を、いつも一番近くで応援しているのが、母親の松村ゆかりさんです。2025年5月現在で60歳とのこと、お若いですよね!
きっと今も、息子さんの活躍を胸に、地元熊本や会場で声援を送っていらっしゃるのでしょう。2022年5月場所の際には、故郷・熊本市のNHK熊本放送局のパブリックビューイング会場で応援する姿が報じられました。
昨日の取組中、緊張する佐田の元海母からずっと背中をプニプニされてた息子。
よっしゃ明日気合い入れてくぜ❗️
巨大マカロンは俺のもや‼️#相撲 #大相撲 pic.twitter.com/x6YZsZj1n5— Hollywood・つのっち (@tsuno3104) May 21, 2022
そのとき、佐田の海が惜しくも敗れてしまった際、お母様のゆかりさんは、こんな風にコメントされていたそうです。
「本人が一番悔しいと思う。下がって負けたわけじゃない」
この言葉、胸に響きますよね。息子さんの努力を誰よりも知っているからこそ、負けても決して後ろ向きにはならない。相撲内容をしっかり見て、息子さんの頑張りを信じているからこそ出てくる言葉なのだと思います。
佐田の海の祖父も元力士?
最近、SNSなどで「佐田の海と横綱・佐田の山は血縁関係があり、佐田の海の祖父が横綱・佐田の山?」という話題を見かけることがありますが、実はこの二人に直接的な血のつながりはありません。
さらに、佐田の海の父親で、先代の佐田の海と、元横綱・佐田の山関の間にも、血縁関係はないのです。そして、元力士でもありません。
あと補足で言うと本作に登場していた力士は当時の横綱でもあった佐田の山関ですね😃 https://t.co/3mtWJIyjoj pic.twitter.com/dx1slvq6yg
— 【FINAL BOSS】三次元からきたブロンディ (@kotaeastwood) November 20, 2023
しかし、この二人の間には、非常に深い「縁」があるんです。
佐田の海は、現在の境川部屋に所属しており、師匠は元小結・両国の境川親方。
そして、先代の佐田の海が力士だった頃、その師匠に当たるのが、元横綱・佐田の山、つまり先代の境川親方だったのです。
先代佐田の海が現役の頃、元横綱・佐田の山関は出羽海親方として部屋を率いていましたが、その後、境川部屋を興し、境川親方となりました。
つまり、佐田の海にとって、元横綱・佐田の山は、父親の師匠であり、大相撲の世界での「大先輩」にあたる存在なのです。
佐田の海の四股名には、そんな師弟の深い絆が込められているのかもしれませんね。
佐田の海の小学校・中学校(学歴)は?
佐田の海は、幼い頃から力士になることを夢見ていたそうです。
なんと、幼稚園の授業ではすでに「お相撲さんになる!」と将来の夢を書いていたとか。その夢を叶えるために、着実に歩んでいたことがわかりますね。
そして驚くべきことに、佐田の海はあの千代の富士の娘である秋元梢さんと、幼稚園、小学校が同じだったそうです!国技館の近くの小学校に通っていたため、このような偶然が生まれたのかもしれませんね。残念ながら、幼稚園と小学校の名前はわかりません。
佐田の海関は、幼稚園&小学校の同級生なのです😂✌🏻
一番古い記憶の時から、お相撲さんになる!!って言ってたのを覚えている😁👏🏻 pic.twitter.com/WqExCb3tvu
— 秋元梢 (@Akimoto_Kozue) February 18, 2018
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小学校6年生の時に愛知県犬山市へ引っ越した佐田の海は、犬山市立城東中学校に通い、 中学2年生までを犬山市で過ごしました。この頃、父親から「勉強はしなくていいから、好きなことをやれ」と言われ、野球に熱中していたそうです。しかし、父親はあえて相撲の経験は積ませなかったのだとか。これは、経験のない状態で大相撲の世界に飛び込んでもらうための、元力士である父親ならではの考えだったのかもしれません。
「勉強はしなくていい」と言われたにもかかわらず、小学3年生か4年生の時には通知表がオール5だったこともあるという佐田の海。好きなことにはとことん打ち込む、真面目な一面があったんですね!
佐田の海の経歴・力士情報
佐田の海関は、父である先代・佐田の海関に憧れ、中学卒業と同時に大相撲の世界に飛び込みました。
2003年3月場所で初土俵を踏んだ佐田の海。選んだ相撲部屋は、父の弟弟子である13代境川親方(元小結・両国)が師匠を務める境川部屋でした。
しかし、実は佐田の海関は、てっきり父が所属していた出羽海部屋に入門するものだと思っていたそうです。
なぜ、境川部屋を選んだのか?それは、父からの一言が決め手でした。
「男を磨くならこの部屋だ」
この言葉に、佐田の海は深く感銘を受け、境川部屋の門を叩きました。
境川部屋についてはこちら。

そして、入門から約1年後の2004年1月場所、佐田の海は、父が名乗っていたのと同じ「佐田の海」の四股名を襲名します。
しかし、そのときには「入門してみて『佐田の海』を名乗るのは恐れ多いと思ったようです」と、最初は戸惑いもあったそうです。
それでも、父の四股名を背負い、大相撲の世界で厳しい稽古に耐え、今日まで土俵に立ち続けている佐田の海。
そこには、父への尊敬と、師匠への信頼、そして何よりも相撲への熱い想いが詰まっているのでしょう。父の背中を追いかけ、師匠の教えを受け継ぎながら、自分自身の相撲道を追求していく佐田の海。これからも彼の活躍から目が離せませんね。
<佐田の海のプロフィール>
四股名 佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)
本名 松村 要
愛称 カナメ、角界の浅田真央
生年月日 1987年5月11日
出身地 熊本県熊本市(現:熊本市東区)
身長 182cm
体重 143kg
所属部屋 境川部屋
得意技 右四つ・寄り・上手投げ
初土俵 2003年3月場所
入幕 2014年5月場所
引用:wikipedia
まとめ
・父親は元小結・佐田の海(本名:松村宏司さん)。父親の現役時代に憧れて角界入り。
・四股名は父親から継承。最初は「恐れ多い」と思っていたが、父の四股名を背負い、活躍を続けている。
・母親は松村ゆかりさん。2022年5月場所では、地元熊本で応援する姿が報じられた。「本人が一番悔しいと思う。下がって負けたわけじゃない」という言葉で息子を励ます、温かい愛情を持つ。
・祖父は力士ではない。元横綱・佐田の山と血縁関係はない。しかし、佐田の山は父親の師匠であり、二代にわたる深い師弟の縁がある。
・意外な同級生。幼稚園と小学校は、元横綱・千代の富士の娘、秋元梢さんと同じだった。
・入門は境川部屋。父親に勧められ、父の弟弟子である両国親方が師匠を務める境川部屋に入門した。
いかがだったでしょうか。
幼い頃から抱き続けた「お相撲さんになる」という夢。その夢を叶え、父と同じ四股名を背負い、38歳となった今も土俵で奮闘する佐田の海。その姿は、私たちに多くの勇気と感動を与えてくれます。ますます応援したくなりました。