こんにちは。りんご桜です。
大鵬の孫である王鵬(おうほう)の活躍、そして弟の夢道鵬(むどうほう)の十両昇進と、話題に事欠かない大嶽部屋(おおたけべや)。その躍進を支えるのは、他でもない親方や女将さんでしょう
大鵬の魂を受け継ぎ、未来の角界を担う力士たちを育てる親方や女将さんに焦点をあてて、ご紹介します。
大嶽部屋・後継者は?
長年にわたり大嶽部屋を率いてこられた大嶽親方(元大竜)が、なんと2025年9月に65歳の誕生日を迎えられ、日本相撲協会の定年を迎えられるとのことです。
今、相撲ファンの間で最も話題となっているのが、「大嶽部屋の後継者は一体誰になるのか?」ということです!
現時点では、まだ後継者については正式な発表はないとのこと。(2025年5月現在)
大嶽親方の築き上げてきた伝統と精神を受け継ぎ、新たな時代の大嶽部屋を担う人物は誰になるのか、私たちも固唾を飲んで見守りたいと思います。
大鵬親方の 弟子として、数々の力士を育ててきた大嶽親方。温かくも厳しい指導で、多くの弟子たちから慕われてきました。そんな大嶽親方が定年を迎えられるということは、大嶽部屋にとっては大きな転換期となりそうです。
このブログでは、大嶽部屋の後継者について、新たな情報が入り次第、皆さんにお伝えしていきますのでよろしくお願いいたします。
【獄・嶽】
牢獄という語がありますが、獄(ゴク)は「ろうや」の意味。この字の上に山が付く嶽(ガク)は「高い山」を表します。スポーツ紙で大相撲の大嶽(おおたけ)親方を大獄親方と誤った記事を見たことがあります。これでは部屋のイメージが全く違ってしまいますよね。#そっくり漢字 pic.twitter.com/AylF9W5sTV— 日経 校閲 (@nikkei_kotoba) September 23, 2024
大嶽部屋・親方は?
大阪市西成区出身の大嶽親方は、本名 佐藤 忠博さん。実は、在日韓国人であり、帰化前は黄 忠博(ファン チュンパク)さんというお名前だったんです。181cm、157kgという堂々とした体格で、四股名は大竜(だいりゅう)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東十両4枚目という実力者でした。
ベンツに乗せられて相撲界へ!?
大嶽親方(当時は永本忠博さん)、大阪の西成で育ち、中学時代はサッカー少年だったそうです。それがひょんなことから、あの 大鵬親方と出会うことになるんですから、人生って本当に面白いですよね!
「きみはベンツに乗ったことがあるか?」大鵬親方にそう聞かれ、
「いえ、ないです」と答えた少年・忠博さん。
「乗りたいか」という問いに「はい!」と答えたら、
そのまま東京へ連れて行かれ、あれよあれよという間に大鵬部屋に入門が決まったんだとか!
まるでドラマみたいなエピソードですよね。ベンツに乗る夢が、まさか力士になる夢に繋がるなんて、想像もしていなかったでしょうね。
苦労の幕下生活と親方の激愛
1976年5月に初土俵を踏んでから、順調に番付を上げていった大竜関。18歳で幕下に昇進するも、そこからが長かった!なんと9年近くも幕下で苦労されたんです。
そして、1987年9月場所。西幕下4枚目という、関取昇進目前の場所でまさかの負け越し。
千秋楽の打ち上げパーティーで、お酒を飲み過ぎてしまった大竜関は、後援者の方から厳しい言葉を浴びせられます。「お前は稽古をしないから負けたんだ!」と。
自分の努力を知らない人にそんなことを言われたら、そりゃあカチンときてしまいますよね。
「お前に俺の稽古を見たことがあるのか!」と食って掛かった大竜関。それを見た大鵬親方は、後援者を大切にするが故に、大竜関をボコボコに…。
「こんな部屋、辞めてやる!」
そう叫んだ大竜でしたが、翌日、先輩に背中を押されて覚悟を決めて親方の元へ行くと、意外な言葉が。
「お前の努力は俺が一番知っている。悔しいだろう。辞めないで頑張れ。(十両に)上がって見返してやれ」。
厳しい中にも愛がある。大鵬親方の言葉に、大竜関は再び立ち上がることができたんですね。このエピソード、本当に胸にグッときます。
十両昇進、そして年寄へ
1988年3月場所、ついに十両へ昇進!その後、怪我に苦しみ幕下に陥落する時期もありましたが、得意の左四つで粘り強く相撲を取り続け、1994年11月場所には自己最高位の東十両4枚目まで番付を上げました。幕内昇進も期待されましたが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
1997年7月場所、右膝の故障もあり現役を引退。幕内経験はなかったものの、当時の規定で年寄資格を得て、「大嶽」を襲名。最高位が十両の力士が年寄を襲名するのは、なんと40年ぶりのことだったそうです。
その後、「佐ノ山」「山響」と名跡を変え、最終的に「二子山」を襲名し、大嶽部屋付きの親方として後進の指導にあたります。日本相撲協会では長きにわたり決まり手係を務め、新たな決まり手の整理・命名にも尽力されました。また、相撲教習所では実技担当講師として、若い力士たちの信頼も厚かったそうです。
大竜にとって、大鵬親方は現役時代から親方時代まで、ずっと怖い存在だったようですが、よくインタビューで話す「99%怒られていましたね」という言葉の裏には、残りの1%の感謝と労いの言葉が、大竜の支えになっていたんですね。
大嶽部屋を継承、そして未来へ
2010年7月、大相撲野球賭博問題で16代大嶽親方(元関脇貴闘力)が協会から解雇処分を受けたため、大竜が17代大嶽として再びこの名跡を襲名し、部屋を継承しました。弟子の不祥事が苦労もあったと思いますが、事務能力にも非常に長けており、協会内での評価も高いそうです。
”勝とうと思うな
負けてたまるかと思え”元・大竜の #大嶽 親方が、
十両昇進の支えになった #大鵬 親方の言葉を
語っていただきました昭和の大横綱が残した
勝負への心構え解説の元 #白鵬 #宮城野 親方の反応も
合わせてどうぞ👇https://t.co/4rZKXGAvHM pic.twitter.com/W9HpWNAKX6— NHK大相撲(公式) (@NhkSumo) September 17, 2023
大嶽部屋・おかみさん(女将さん)は
大嶽部屋の 女将さんは佐藤あゆみさんです。
引用:KOREAN COOKING ブログ
右側の女性が女将さん(あゆみさん)です。
女将さんは千葉県のご出身。 大嶽親方(元十両・大竜)5つ年下です。
実は、都内の病院で入院されていた際に、 大嶽親方(元十両・大竜)と運命的な出会いを果たされたことがきっかけで、ご結婚されました。部屋付き親方夫人として大嶽部屋を支えていらっしゃいました。
しかし、人生には がつきもの。2010年に 前・親方だった貴闘力が賭博で、日本相撲協会を解雇された後、 大嶽親方が大嶽部屋を継承することになったんです。大嶽親方がこうして大嶽部屋を守ってこれたのも、女将さんの支えが があったからこそかもしれません!
そして、皆さんご存知の通り、大嶽部屋のブログも女将さんが 運営してくださっています!稽古の様子や力士たちの日常、季節の話題など、女将さんの温かい視点で綴られるブログは、読んでいると心がほっこりしますよね。
さらに!女将さんは美味しいちゃんこもちゃんこ番さんと一緒に作っているんですよ!🍲
まとめ
<大嶽部屋・後継者について>
現大嶽親方(元大竜)は2025年9月に65歳で定年を迎える。
後継者については、2025年5月現在、正式な発表はない。
大鵬親方の弟子である大嶽親方の後を継ぐ人物に注目が集まっている。
<大嶽部屋・親方について>
現親方は大嶽親方(元十両・大竜)。本名は佐藤 忠博(帰化前は黄 忠博)。
1988年3月場所に十両昇進。最高位は東十両4枚目。
1997年7月場所に現役引退。幕内経験はないものの、年寄「大嶽」を襲名(当時、最高位十両での年寄襲名は40年ぶり)。
その後、「佐ノ山」「山響」を経て「二子山」を襲名し、大嶽部屋付き親方として指導。
日本相撲協会で決まり手係や相撲教習所の実技担当講師を務めた。
2010年7月、先代大嶽親方の解雇を受け、17代大嶽として部屋を継承。
<女将さん>
名前は佐藤あゆみさん。
千葉県出身で、大嶽親方より5歳年下。
都内の病院での入院中に大嶽親方と出会い、結婚。
大嶽部屋のブログを運営しており、温かい視点で稽古や力士の日常を発信している。
ちゃんこ番と一緒に美味しいちゃんこを作っている。
いかがだったでしょうか。
今回は、2025年9月に定年を迎えられる大嶽親方(元大竜)の後継者問題や親方の現役時代から部屋を継承されるまでの道のり、そして温かく大嶽部屋を支えるおかみさんのご紹介をさせていただきました。所属する力士たちの活躍とともに、大嶽部屋からも目がはなせないですね。みんなで応援していきましょう。