こんにちは。りんご桜です。
相撲解説者として、その鋭い分析とユーモアあふれる語り口で知られる舞の海秀平(まいのうみ しゅうへい)さん。
多くの人々から支持されていますね。
また「舞の海さんは、なぜ親方にならなかったんだろう?」と思ったことはありませんか?人気の力士だった舞の海さんなら、親方になって活躍できたのではないでいかと私は思います。親方株は持ってなかったのでしょうか。それと合わせて現役時代とことも紹介いたします!
舞の海秀平さんの現在は?
1999年の引退後、舞の海さんはNHK大相撲解説者として、その豊富な経験と鋭い観察眼を活かして相撲の魅力を伝えています。
技術論の深堀り: 現役時代から磨かれた技術論は、解説においても光を放ちます。特に、自身の得意技である「下手投げ」や「内無双」といった技の解説は、視聴者に深く理解させてくれます。
若手力士への期待: 若手力士の成長を温かく見守りながら、その才能を伸ばすためのアドバイスを送る姿も印象的です。
伝統と革新のバランス: 相撲の伝統を重んじながらも、時代の変化に対応した新しい相撲のあり方を模索する姿勢が、解説に深みを与えています。
テレビ・ラジオなど幅広い活躍!
相撲解説以外にも、日本テレビの「ぶらり途中下車の旅」などに出演し、その親しみやすいキャラクターで多くの人から愛されています。また、ラジオ番組でも活躍しており、トークの面白さでも知られています。オリンピックリポーターとしての経験トリノオリンピック。北京オリンピックでは現地リポーターを務め、国際的な舞台でも活躍しました。
#ぶらり途中下車の旅
舞の海さんが明治神宮外苑のクリスマスマーケットへ🎄
見に行ったクリスマスピラミッド、今年リニューアルされたんだ😊❣️
国立競技場前から、スタート🚃💨 pic.twitter.com/UCocxu1sju— HAMAっ娘 (@HAMA93465673) December 21, 2024
故郷への貢献
生まれ故郷の青森県鰺ヶ沢町の「ふるさと大使」として、町の活性化に貢献しています。大相撲開設者としての活動も積極的に行い、相撲を通じて地域を盛り上げています。
学術分野での活躍
2011年からは近畿大学経営学部客員教授に就任し、後進の育成にも力を入れています。
舞の海秀平さんの親方株は?
実は、舞の海さんが引退後、親方にはならず、日本相撲協会に残りませんでした。
それには2つの大きな理由がありました。
1. 年寄名跡がなかった!
相撲界では、引退した力士が師匠になるためには、年寄名跡というものを継承する必要があります。いわば、師匠になるための「お家」みたいなもの。
ところが、舞の海さんが引退した当時、この年寄名跡に空きがほとんどなかったんです。人気力士だった舞の海さんですから、当然、多くの名跡が欲しがっていたでしょう。
2. 親方になることにそれほど強いこだわりがなかった!
もう一つの理由は、舞の海さん自身が、それほど強く親方になりたいと思ってはいなかったということ。
相撲一筋で生きてきた舞の海さんですが、引退後は、様々なことに挑戦してみたいという気持ちが強かったようですね。相撲界にとどまるだけでなく、テレビやラジオなど、もっと広い世界で活躍したいと考えていたのかもしれません。
舞の海秀平さんの現役時代はどんなだった?
高校教師から大相撲へ、そして母との決別
高校教師の道を諦め、大相撲の世界へ飛び込んだ舞の海。その決意は、亡くなった後輩への誓いから生まれたものでした。しかし、相撲界入りの夢は、母との絶縁という形で幕を開けます。
身長が基準に満たないという壁も乗り越え、執念で新弟子検査に合格。
幕下付出から十両昇進、そして「技のデパート」へ
幕下付出で華々しく初土俵を踏んだ舞の海は、持ち前の才能と努力でみるみる頭角を現します。十両昇進後は、「技のデパート」「平成の牛若丸」と呼ばれるほど多彩な技で観客を魅了しました。「猫騙し」「後退する立合い」「くるくる舞の海」など、数々の奇想天外な戦法で相撲界に新風を吹き込みました。
小結昇進も怪我に泣く
1994年7月場所では大関・貴ノ花を破るなど活躍し、念願の小結に昇進。しかし、左腕の怪我により大きく負け越し、三役経験はわずか一場所にとどまってしまいます。
大怪我からの復活、そして引退
その後も数々の怪我に悩まされながらも、十両で懸命に相撲を取り続けました。しかし、1999年11月場所、左足首とふくらはぎの怪我により、幕下陥落が濃厚となり、現役を引退することとなりました。
舞の海の相撲人生、その軌跡
舞の海の相撲人生は、まさにドラマそのもの。身長の壁、怪我、そして母との別れなど、数々の困難を乗り越え、人気力士となりました。彼の情熱と闘志、そしてユニークなスタイルは、今もなお多くの相撲ファンに語り継がれています。
舞の海秀平さんの現役時代力士情報
<力士情報>
四股名 舞の海 秀平
本名 長尾 秀平
愛称 技のデパート(本舗)、平成の牛若丸、マイちゃん、シュウヘイ
生年月日 1968年2月17日(56歳)
出身地 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町
身長 171cm
体重 101kg所属部屋 出羽海部屋
得意技 左差し、下手投げ、内無双、切り返し
最高位 東小結
生涯戦歴 385勝418敗27休(58場所)
幕内戦歴 241勝287敗12休(36場所)
賞 技能賞5回
初土俵 1990年5月場所(幕下付出)
入幕 1991年9月場所
引退 1999年11月場所引用:Wikipedia
まとめ
<現在>
NHK大相撲解説者として活躍: 技術論の深堀りや若手力士への期待など、幅広い視点で相撲の魅力を伝える。
テレビ・ラジオ、講演など多方面で活躍: 親しみやすいキャラクターで人気を集める。
故郷・鰺ヶ沢町の発展に貢献: ふるさと大使として、相撲を通じて地域を盛り上げる。
近畿大学経営学部客員教授に就任: 後進の育成に力を入れる。
<なぜ親方にならなかったのか?>
年寄名跡がなかった: 人気力士だったため、多くの名跡が欲しがられていた。
親方になることに強いこだわりがなかった: 相撲以外の道にも興味があった。
<現役時代>
高校教師の夢を捨て、相撲界へ: 後輩の死をきっかけに決意。
身長の壁を乗り越え、新弟子検査に合格: 執念の努力が実る。
幕下付出から華々しいデビュー: 持ち前の才能で頭角を現す。
「技のデパート」と呼ばれるほど多彩な技: 相撲界に新風を吹き込む。
小結昇進も怪我に泣く: 三役経験はわずか一場所。
大怪我からの復活、そして引退: 幕下陥落の危機に引退を決意。
いかがだったでしょうか。
舞の海秀平さんは、相撲解説者としてだけでなく、テレビ、ラジオ、そして地域貢献など、多岐にわたって活躍しています。現役時代には、数々の困難を乗り越え、相撲界に燦然と輝く星となりました。その情熱と闘志、そしてユニークなスタイルは、今もなお多くの相撲ファンに愛されています。