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日翔志(ひとし・相撲)の学歴は?家族は?(父・母・兄)日焼けしてる?力士情報

力士

こんにちは。りんご桜です。

​2025年9月場所、新入幕を果たした日翔志(ひとし)。
もしかしたら、「ノーマークだった!」と思っている方もいらっしゃるかもしれません。​
じつは今、相撲界で一番熱い男なんです。困難を乗り越え、力強い相撲には、たくさんのファンの皆さんが勇気をもらえると思います。
今回はわかりやすく、日翔志について深掘りしたいと思います。
日翔志の学歴は、家族、気になる日焼けのこと、力士情報をお伝えします。

日翔志(ひとし・相撲)の学歴は(小学校・中学校・高校・大学は?)

​小学校時代:地元の相撲道場で稽古に励む!

​日翔志は、1997年、東京都武蔵野市に生まれ、立川市で育ちました。相撲好きのおじいさんの影響で、お兄さんが相撲を始めたのをきっかけに、5歳の頃から立川市にある立川錬成館で相撲の稽古をスタート。小さい頃から始めたのですね。

​立川市立上砂川小学校に通いながら、毎日まわしを締めて稽古に励む、まさに相撲漬けの毎日を送っていました。

​中学校時代:新潟県にまさかの相撲留学!

​中学校に入学すると、日翔志は驚きの決断をします。なんと、相撲の名門校がある新潟県糸魚川市立能生中学校に3年生の2学期まで相撲留学をしていたんです!

​同じく能生中学校に相撲留学していた大の里が、有名ですが、日翔志のほうが先輩になります。この留学生活でさらに実力をつけ、3年生の時には全国中学校相撲選手権大会で個人3位という素晴らしい成績を収めました。

​その後、家庭の事情により地元の立川市立第五中学校に転校し、卒業を迎えています。

​高校時代:埼玉栄高校で全国トップクラスの強さに!

​卒業後は、高校には進まず、解体業などで生計を立てるつもりでしたが、埼玉栄・山田道紀監督の熱心な勧誘に応え、相撲の強豪校として全国的に有名な埼玉栄高校に進学。ここでは、団体戦で数々の栄冠を手にしました。

​1年生: 高校総体、弘前大会で団体優勝

​2年生: 選抜大会で団体優勝

​3年生: 高校総体、宇佐大会で団体優勝

​全国の強豪が集まる埼玉栄高校で、日翔志関はまさに中心選手として活躍していたことがわかりますね。

​大学時代:日本大学でさらなる高みへ!

​高校卒業後は、日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科に進学。ここでも、高校時代に負けない輝かしい成績を残しました。

​3年生: 金沢大会で団体優勝

​4年生: 金沢大会、十和田大会、全国学生選手権で団体優勝

​4年生: 全国学生相撲個人体重別選手権大会で無差別級優勝

​大学4年生では、全国学生相撲の個人戦・団体戦の両方で頂点に立ち、学生相撲界の絶対王者としての地位を確立しました。

日翔志(ひとし・相撲)家族は?父・母・兄について

​日翔志の家族は、和歌山で暮らすお母さんの沢田泉(さわだいずみ)さんと、4歳年上のお兄さんの沢田日出夫(さわだひでお)さんです。

​お兄さんの日出夫さんも、実は相撲の実力者! 2023年の全日本実業団相撲選手権では、和歌山県庁の選手として団体戦で全勝を収め、見事優勝に貢献しています。兄弟そろって相撲に打ち込む姿は、まさに相撲DNAを感じさせますね!

​天国で見守る父・分男さん

​2022年3月、日翔志は57歳という若さでお父さんの沢田分男(さわだのりお)さんを亡くしました。死因は肝硬変でした。

​実は、お父さんは日翔志がプロの道に進むことに最初は反対だったそうです。安定した大学職員という道を選んでほしかったのかもしれません。しかし、最後は日翔志の決断を尊重し、応援してくれました。

​日翔志は、このお父さんの思いを胸に土俵に上がっています。きっと、天国のお父さんも彼の活躍を誇らしく見守っていると思います。​日翔志の強さは、家族の深い絆と、亡きお父さんへの思いから来ているのかもしれませんね。

日翔志(ひとし・相撲)の日焼けが気になる?

​日翔志と検索すると、「​日翔志 日焼け」というワードが出てきます。

みなさんも気になっているのですね。
​最近は、美容に気を使うお相撲さんが増えてきましたよね。
ツヤツヤの肌の翔猿がその代表格でしょうか。
そんな中、先日巡業で私が握手して頂いて、驚いたのが、日翔志の小麦色の肌です。
​周りの力士と比べても、ひときわこんがりと焼けていて、とても健康的な印象でした。

まるでハワイにでも行って来たかのような、ムラのないきれいな焼き色だったので、私の勝手な予想ですが、日焼けサロンに通っているのかな?と思いました。
​あの小麦色の肌に、巡業で締めていたシルバーのまわしがとても映えていて、コントラストがなんとも言えずかっこよかったです!

日翔志(ひとし・相撲)の力士情報

​埼玉栄高校、そして日本大学と相撲の名門で活躍し、誰もがその将来を期待していました。しかし、日翔志はすぐにプロの道を選ばず、一度は大学職員の道へ。

相撲部コーチとして後輩を指導しながら、アマチュア選手として土俵に上がり続けていました。

​そんな日翔志の心を動かしたのは、コロナ禍による大会の中止、そして高校の同級生、琴桜の活躍でした。「自分もこのままじゃいけない」そう決意し、23歳で角界へ飛び込みました。

​しかし、試練はすぐに訪れます。

​初土俵からわずか数ヶ月後、稽古中に首を大ケガ。頸髄損傷という診断で、なんと2ヶ月もの間、ほぼ寝たきりの状態だったそうです。絶望の淵に立たされた日翔志は、さらに追い討ちをかけるように、大黒柱だったお父様を亡くします。

​相撲を辞めることも考えたかもしれません。それでもは諦めませんでした。

​地獄のようなリハビリを乗り越え、再び土俵へ。一度は関取の座を掴んだものの、すぐに幕下へ陥落。しかし、その悔しさをバネに、7場所かけて再び十両の座へ返り咲きました。

​「体が大きくなって、圧力負けしなくなった」と語る日翔志。一つ一つの苦難を力に変え、体も心もさらに強くなった日翔志は、ついに最高峰の舞台にたどり着いたのです。

日翔志 プロフィール

四股名  沢田翔→日翔志
本名   沢田 日登志
愛称サワ、ヒトちゃん
生年月日 1997年8月14日(28歳)
出身地  東京都立川市(出生地は武蔵野市)
身長   181.0cm
体重   150.0kg
所属部屋 追手風部屋
得意技  右四つ・寄り

引用:Wikipedia

 

まとめ

学歴
小学校: 立川市立上砂川小学校
中学校: 新潟県糸魚川市立能生中学校に相撲留学後、立川市立第五中学校に転校し卒業
高校: 埼玉栄高校
大学: 日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科

家族
父: 沢田 分男さん(2022年に亡くなられている)
母: 沢田 泉さん
兄: 沢田 日出夫さん(アマチュア相撲で活躍)

大学卒業後は、一度大学職員としてアマチュア相撲を続けていましたが、23歳でプロの道へ進みました。
初土俵から数ヶ月後、稽古で頸髄損傷の重傷を負うも、リハビリを経て復帰しました。
十両に昇進するも幕下へ陥落しましたが、再び十両へ返り咲き、この度、2025年九月場所で新入幕を果たしました。

いかがだったでしょうか?
2025年​5月場所、左目の上を大きく腫らし、眼窩底骨折の疑いがありながらも、休場することなく土俵に上がり続けました。その姿は、痛みに耐え、歯を食いしばって前に進む、力士の覚悟を私たちに改めて教えてくれました。番付けを下げたくないという一心で、土俵に立ち続けたそうです。どんなに辛い状況でも、体を張って土俵に上がり続けた日翔志。努力が実を結び、ついに幕内の土俵で相撲を取る姿を見ることができます。力士として生き抜くために、すべてを懸けて相撲と向き合ってきた日翔志関。9月場所、新たなステージで輝く姿を、みんなで一緒に応援しましょう!

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