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有吉の壁・力士(相撲)は誰?若元春・一山本・錦木まとめ。

力士のあれこれ
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こんにちは。りんご桜です。

毎週水曜よる7時は、「有吉の壁」を私も楽しみにしてます。

あの、有吉弘行さんが「壁」となり、我らが芸人たちが全身全霊で笑いに挑む純度100%のお笑い番組。何度お腹を抱えて笑ったか分かりませんよね!

そんな「有吉の壁」から、とんでもないニュースが飛び込んできました!なんと、2025年7月9日の放送に力士3名が出演することが決定したんです!
今回は、出演力士の若元春(わかもとはる・一山本(いちやまもと)・錦木(にしきぎ)の家族についてお伝えします。

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有吉の壁・力士(相撲)は誰?若元春について。

祖父は小結・若葉山貞雄、父は幕下・若信夫、そして、兄は幕下の若隆元、弟は幕内・若隆景という相撲一家に生まれた若元春。生まれた時は3800グラムと大きく、3兄弟の中でもひときわ運動神経抜群で、水たまりで遊んだり木登りをするような活発な子どもだったそうです。小学2年生から兄弟とともに相撲を始めましたが、実はソフトボールや柔道もこなすスポーツ万能少年でした。

しかし、驚くことに彼は相撲が嫌いだった時期があったそうです。中学から相撲一本に絞ったものの、角界入りした頃には「本当は嫌だった」と父に吐露していたとか。稽古熱心な弟や兄の傍らで、すぐに泣き言を言っていたというエピソードも。

それでも、小学校の卒業文集には「名前を言えば誰でも分かってくれるような力士になりたい」と書いていたというから不思議ですね。稽古熱心ではなかったものの、相撲のセンスは3兄弟の中で一番で、大会では常に好成績を残していました。父親が「やれば勝って成績が出るから、相撲が後からついてくる感じ」と語るように、元々持っている才能が彼を相撲へと導いたのでしょう。

高校時代には特待生として学法福島高校に入学し、インターハイ個人に3年連続で出場。東日本大震災で被災した際に荒汐部屋で避難生活を送った経験から、部屋への恩返しも込めて高校卒業前に荒汐部屋で初土俵を踏んだそうです。

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こんにちは。りんご桜です。若元春は、土俵上での力強い相撲とは裏腹に、普段は温厚で人当たりの良い人柄で知られています。その若元春が、人生の伴侶となる奥さんと披露宴をし、新たなスタートを切りました。奥さんのこともきになりますね。今回は、 若元春...

 

有吉の壁・力士(相撲)は誰?一山本について。

大相撲の世界で異色の経歴を持つ力士、それが一山本です。彼の相撲人生は、まさに「諦めない心」の連続でした。

3人きょうだいの末っ子として北海道で生まれた一山本は、お母さんの勧めで小学2年生から相撲を始めます。「まわし一本あればできる」というお母さんの言葉に背中を押され、中学、高校と相撲を続けました。

特に転機となったのは、中学で全国大会出場を逃したこと。この悔しさが、彼をさらに相撲に駆り立てたのです。高校では兄を追って大野農業高校へ進学し、中央大学でも相撲部に所属しましたが、大学時代は目立った実績を残せず、大相撲入りは考えていなかったといいます。

大学卒業後、彼はなんと北海道福島町役場の公務員になります。小学校の卒業文集に書いた「公務員になる」という夢を叶え、役場で働きながら地域の子どもたちに相撲を教える日々を送っていました。横綱千代の山・千代の富士記念館でコーチをしていたこともあったそうです。

しかし、2016年の国体での不本意な成績と、中央大学相撲部OB会長からの誘いが、彼の心に再び相撲への熱い想いを灯します。当時23歳。本来なら年齢制限で入門は難しいところでしたが、特別制度の適用第1号として、見事新弟子検査に合格!公務員の職を辞して、角界への道を歩み始めました。

一山本・結婚は?彼女は?若隆景が推しなの?グッズは持っている?
こんにちは。りんご桜です。一山本といえば若隆景、これが合言葉のように聞こえるのはなぜでしょう。それは一山本の推しが若隆景であることが相撲ファンに知れ渡っている証拠なんです。彼女いない歴12年と公言している一山本に本当に彼女はいないのか?結婚...

 

有吉の壁・力士(相撲)は誰?錦木について。

最近、大河ドラマ出演でその存在感をT Vにも広げた人気力士、錦木。彼の少年時代は、意外なスポーツ遍歴に彩られていました。

お父さんが国体相撲に3回出場した実力者だった錦木ですが、中学校時代に打ち込んでいたのはなんと卓球!エースとして活躍し、当時からトレードマークの眼鏡をかけていたそうです。卓球の他にも、小学2年生から中学までは草野球に熱中。キャッチャーで4番を任されるほどの腕前で、本人曰く「肩は良かった」とのこと。もしかしたら、野球の世界に進んでいたら、今頃大リーグで活躍していたかも…?実は、小学校時代にあの菊池雄星投手と対戦した経験もあるというから驚きです。

中学で野球部を創設しようと奮闘したものの、強豪サッカー部にグラウンドを奪われ断念。そんな彼の相撲人生が動き出したのは、中学卒業を控えた頃でした。部屋付きの親方が相撲健康体操を教えに岩手県を訪れた際、たまたま会場にいた錦木関を勧誘したのがきっかけとなり、2006年3月場所で伊勢ノ海部屋から初土俵を踏むことになります。

卓球少年から角界入りを果たした錦木。相撲以外のスポーツで培った身体能力や、卓球で鍛えられた集中力が、彼の相撲に活かされているのかもしれません。

錦木(相撲)の奥さんは?(嫁は?)子供は?・力士情報
こんにちは。りんご桜です。錦木(にしきぎ)といえば、眼鏡がトレードマークの力士としておなじみですよね。実はあの眼鏡、中学生の頃からかけていたそうですよ!そんな癒し系で人気の錦木の奥さん、四股名の由来、力士情報まで深堀したいと思います。

いかがだったでしょうか?

今回、若元春、一山本、そして錦木の知られざるエピソードを振り返ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

最近は、多くの力士がバラエティー番組に出演する機会が増えましたよね。土俵の上での真剣な表情とはまた違う、親しみやすい一面を見せてくれることは、私たちファンにとっても嬉しい限りです。

力士たちがテレビを通じて普段の生活や趣味、そして相撲への熱い思いを語ることで、これまで相撲に馴染みがなかった方々にも、その魅力が伝わるきっかけになればと願っています。

 

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