こんにちは。りんご桜です。
5月場所の番付が発表され、5月場所が楽しみで仕方ないですね。大関・琴櫻や小結・大の里も気になりますが、今回は、新十両の風賢央(かぜけんおう)の大学(出身校)、十両になるのきっかけになった幕下優勝、本名・四股名の由来についてご紹介します。
風賢央の大学は?出身校(小学校・中学校・高校)学生時代は?
風賢央は、なんと中央大学法学部出身なんです。文武両道の見本のような存在ですね。
相撲部に入部したきっかけは、高校の上杉監督が押尾川親方と大学の同期だったという縁から中央大学に進路を決めたことだそうです。
●大学時代の実績も華々しい!
大学時代には、2年生で宇和島大会団体優勝と全日本選手権ベスト16、主将を務めた4年生では、全国学生選抜大会個人ベスト16と、数々の素晴らしい成績を残しています。
特に、新型コロナウイルス禍で大学相撲部の活動が自粛を強いられた中、主将として部を引っ張って行ったことは、並大抵の苦労ではなかったでしょう。
●相撲との出会いは小学校3年生!
風賢央が相撲を始めたのは、なんと小学校3年生の時。
父の転勤で松山市立福音小学校に転校し、未経験ながら市の相撲大会で優勝したことがきっかけだそうです。その後は地元の道場から誘いを受けて本格的に稽古を始め、愛媛県西予市の相撲が盛んな西予市立野村中学校、愛媛県立野村高校に進学。高3で迎えた愛媛国体では個人準優勝と、その頃からすでに頭角を現していました。
中央大学時代からすでに輝きを放っていた風賢央。法学部で学びながら、相撲でも素晴らしい成績を残し、将来を嘱望されていました。大学時代、そして新型コロナウイルス禍での経験が、今の風賢央関を形作っているのかもしれません。今後の活躍にも期待しましょう!
風賢央・幕下優勝後十両に。
2024年3月場所は西幕下13枚目の地位で土俵に上がり、7戦全勝で幕下優勝を果たした。最後の七番は阿武剋(おうのかつ)との対戦。Yahooニュースのインタビューで風賢央はこう答えてます。
「6番相撲までは全然緊張しなかったんですけど、優勝と新十両がかかっていたので、どこかしらで緊張していたのかなと思います。体は硬かったし、稽古場からいっちょ押しやぶつかりといった普段していることも、6番相撲までの自分の動きと全然違ったので、意識していないと思っていても無意識に緊張しているんだなと思いました。右を差されて危なかったんですが、前に出るしかないと思ってがむしゃらに出たら勝てたのでよかったです。優勝できたので、すごくいい場所でした」 引用:4月11日Yahooニュースより
幕下優勝がかかる緊張の取組だったのですね。
会場には風賢央の父浩彦さんと母るみさんもいらっしゃったようです。
息子の姿をみて、もしかしたら風賢央以上に緊張していたかもしれませんね。
この取組を見届けたご両親のことを思うとこちらまで胸が熱くなります。
風賢央の本名は四股名の由来は?力士情報は?
風賢央の本名は住木厳太(すみきげんた)といいます。「厳太」には「自分に厳しく太く生きてほしい」との願いが込められているといいます。
「風賢央」という四股名は、
風が師匠・22代押尾川の現役時代の四股名・豪風から、
賢が野村高校時代の恩師上杉博賢さんから、
央が母校・中央大学のから由来しているようです。
四股名には今までお世話になった方々の漢字が使われ、
感謝の気持ちと応えたい気持ちが表れているような四股名ですね。
それでは基礎情報もお伝えします!
四股名 風賢央 厳太 (かぜけんおう げんた)
本名 住木 厳太(すみき げんた)
生年月日 1999年6月4日(24歳)
出身地 愛媛県西予市(出まれは広島県広島市)
身長 185.0cm
体重 152.7kg
所属部屋 押尾川部屋
現在の番付 東幕下筆頭
最高位 西十両14枚目
愛媛県出身力士は、2008年に引退した元関脇・玉春日以来の十両昇進を果たしたそうで、地元でも注目されています。
ちなみに趣味はスポーツ観戦で野球が好きなようです。(カープファン)
まとめ
・風賢央は中央大学法学部出身。
・7戦全勝で幕下優勝を果たし、2024年5月場所は西十両14枚目。
・厳太は「自分に厳しく太く生きてほしい」と両親が付けました。
・風賢央という四股名は、風が押尾川の現役時代の四股名・豪風から、
賢が野村高校時代の恩師上杉博賢さんから、央が母校・中央大学のから由来しているようです。
風賢央はいかがだったでしょうか。四股名もとても人との関わりを大切にしていると思います。
この気持ちを忘れずに戦っていけば、風賢央らしいお相撲がとれると思います。ぜひ頑張ってほしいですね。