こんにちは。りんご桜です。
9年目にしてようやく関取になったの苦労人の紫雷(しでん)。
これまで何度も昇進のチャンスがありながら、度重なるケガや不祥事で棒に振っていました。とにかく大事な場所でチャンスを逃し、それさえなければ数年は早く関取になっていたのでは?とも言われてます。ただ、コツコツと稽古に精進し、まじめな努力家で、性格もよいと後援者の方、周りの方が絶賛されているそうです。
そんな紫雷の四股名の読み方・由来、賭博に関与?出身地・学校、力士情報をお届けします。
紫雷の四股名の読み方は?由来は?
紫電と書いて「しでん」と読みます。
「しらい」と呼んだ方も多いのではないでしょうか?
本来であれば、「雷」と書いて「でん」とは読みません。
由来は、四字熟語の「紫電一閃(しでんいっせん)」、字面を考慮して「電」は「雷」に変えているそうです。この四股名は後援会の人から提案があったそうです。
キラキラネームのような感覚で、紫雷を「しでん」と読んでいるようですね。
「紫電一閃」とは、鋭い眼光。 事態が一瞬で急激な変化を遂げることや、切迫した状況をさす。 「紫電」は、紫色の稲妻のことで、よく研ぎ澄まされた刀剣がきらりと反射すること。 「一閃」は、その刀の一瞬のきらめき。
私は、「紫電一閃」という四字熟語を知りませんでした。鋭い取組みの相撲をイメージしているのでしょうか。そんな相撲を取れるよう紫雷にがんばってもらいたいですね。
紫雷が賭博に関与?
2022年1月場所で新十両昇進を果たしましたが、同場所前に兄弟子の英乃海と違法賭博関与の疑いが発覚。紫雷は、のちに不起訴処分となったものの、日本相撲協会から懲戒処分を受けて同場所を全休し、一度も土俵に上がることなく幕下に転落しまいました。
その間に食事がのどを通らず、約1カ月で175キロあった体は、35キロ以上も激減しまったそう。自身の軽率な行動を悔い、精神的にふさぎ込んでいたといいます。
14年(2013年)春場所の初土俵から8年近くかけて新十両に昇進したが、念願だった十両の土俵には1度も立てず、後悔の思いを抱えて幕下に陥落後の1年半近くを過ごしてきた。「自業自得ですが、8年近くかかって(新十両に)上がったよりも、この1年半は長く感じました。周りの方に本当に迷惑をかけてしまった。応援してくれる方に応えたいという思いは、今回の方が大きい」と、しみじみと語った。
引用:2023年6月14日 日刊スポーツ
自分の過ちを反省し、応援しているまわりの方々に応えるような相撲を取ってほしいですね。期待してます。
紫雷の出身地、学校は?
紫雷の出身地は東京都町田市出身です。
2006年4月町田市立小山田南小学校入学。
2015年4月に町田市立小山田中学校し、相撲部に入部します。3年生でに全国中学校相撲選手権大会で個人3位、全国都道府県中学生相撲選手権大会で個人ベスト8となり、全国大会で名前を残せるようになりました。
中学校卒業後は、私立埼玉栄高校の相撲部の山田監督から勧誘を受けた為。2015年4月に私立埼玉栄高校普通科総合進学コースに進学します。
同学年の安彦剣太郎(剣翔)、佐々木大輔(佐々木山)がいます。3年生では彼らと共に全国高等学校総合体育大会相撲競技大会(高校総体)団体優勝、選抜相撲宇佐大会団体2位、個人3位などの実績を残しました。
2018年4月、日本大学商学部商業学科に進学。日大の同期には安彦や川端翔伍(大翔丸)がいます。1年生から団体戦レギュラーとなり、東日本学生相撲選手権大会の団体優勝や、全国学生相撲選手権大会での団体準優勝を果たしてます。
さすが相撲部の強豪校、同期のメンバーがすごいメンツですね。きっといろいろな面で刺激を受け、与え合っていたのでしょう。
紫雷の力士情報
祖父が相撲好きだった影響で相撲をはじめました。町田市立小山田南小学校4年生で市のわんぱく相撲大会で準優勝したことを機に地元の相撲道場(立川錬成館)に通い始めました。
相撲を始めた当初は全国大会で通用するほどの実力を有していないという理由で大相撲の力士になることは考えていませんでした。
日本大学に進学後、2年生で早くもレギュラー外れてしまい、相撲に対する熱意が薄れてしまい、4年生では最早タイトルとは完全に無縁となってしまいました。そのような状況で国体に埼玉県代表として出場した際、大会自体は予選落ちでしたが、相撲を取ることが楽しく思えたことで、大学卒業後の大相撲入りを決意したしました。入門先には、高校と大学の2年先輩である英乃海が所属している木瀬部屋を選び、2014年3月場所で初土俵を踏みました。
<紫雷 匠のプロフィール>
四股名 芝 匠 → 紫雷 匠
本名 芝 匠
愛称 シバタク、イオ
生年月日 1991年12月24日
出身地 東京都町田市
身長 176.3cm
体重 156.9kg
所属部屋 木瀬部屋
得意技 左四つ・寄り
祖父が相撲好きで相撲を始めている力士は多いですね。また、相撲を取ることが楽しく思えたことで、大相撲入りを決意したなんて、素敵なことだと思います。まさに好きを仕事にですね。
まとめ
・紫電と書いて「しでん」と読みます。
・由来は、四字熟語の「紫電一閃(しでんいっせん)」、字面を考慮して「電」は「雷」に変えているそうです。この四股名は後援会の人から提案があったそうです。
・2022年1月場所で新十両昇進を果たしましたが、同場所前に兄弟子の英乃海と違法賭博関与の疑いが発覚。紫雷は、のちに不起訴処分となったものの、日本相撲協会から懲戒処分を受けて同場所を全休し、一度も土俵に上がることなく幕下に転落しまいました。
・紫雷の出身地は東京都町田市出身です。
・出身学校
2006年4月町田市立小山田南小学校入学。
2015年4月に町田市立小山田中学校し、相撲部に入部します。
2015年4月に私立埼玉栄高校普通科総合進学コースに進学します。
2018年4月、日本大学商学部商業学科に進学。
・入門先には、高校と大学の2年先輩である英乃海が所属している木瀬部屋を選び、2014年3月場所で初土俵を踏みました。
いかがたったでしょうか?
紫電はチャンスがあったはずなのに不祥事で棒に振っていました。
もしかしたら新十両になったにも関わらず土俵に立てず、降格してしまった期間は、紫電にとって今一度、自分を見つめなおす大切な必要な時間だったのではないかなと私は思います。あの経験があったからできることを相撲で表現してほしいです。そして幕内で相撲をしているところがみたいです。