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オチルサイハン(旭富士)の高校は?なぜ?四股名の由来は?豊昇龍との稽古は?力士情報

力士

こんにちは。りんご桜です。

大相撲九州場所で初土俵を踏む史上最強の新弟子と呼ばれているオチルサイハン。

四股名も旭富士(あさひふじ)に決まり、かなり注目されています。旭富士と聞いてどこかで聞いたことがあると思う方もいらっしゃるかもしれません。一体どんな力士なんでしょうか。

今回は、旭富士(オチルサイハン)の高校は?四股名の由来、豊昇龍との稽古、力士情報(身長・体重)をお届けします。




オチルサイハン(旭富士)の高校は?

モンゴル出身の旭富士(オチルサイハン)が日本にやってきたのは2018年の春。

高校は神奈川県小田原市の旭高校です。幕内力士の阿武剋(おうのかつ)の後輩です。

来日してから相撲を始めたという事実に、改めて驚かされます。恵まれた体格に加えて、彼の相撲に対する真面目さと探求心の強さが、その後の飛躍の礎となったのは間違いないでしょう。

稽古は「相撲の国」のスタイルで!

高校相撲の名門校ですが、旭丘高校は決して大所帯ではありませんでしたが、オチルサイハンは日々の稽古に真剣そのものでした。

旭富士(オチルサイハン)は「日本の相撲は強い」と語っていたこと。モンゴル相撲とは異なる、奥深い日本の相撲の「技」や、試合運びの「競技性」を深く理解しようと、監督の指導を心から真摯に受け止めていたようです。

悔しさをバネに、世界で活躍!

そのひたむきな努力が実を結び始めたのは、高校2年生の時でした。

 世界ジュニア相撲選手権大会にモンゴル代表として出場!

団体戦で準優勝!

個人重量級で3位入賞!

世界大会でメダルを獲得しても、「一番になりたい」「力だけではだめだ」と決して満足しなかったそうです。この飽くなき向上心こそが、後に旭富士(オチルサイハン)が「史上最強の研修生」と呼ばれる原点になったのでしょう。

卒業後、指導者やプロ入りと道は違えど、同期の3人は「いつか日本一を獲って再会し、笑い合いたい」と熱い夢を語り合ったそうです。

前列の右側の着物をきているのが旭富士(オチルサイハン)ですね。阿武剋もいますね。

タイトルを獲得してから入門するのが一般的とされる昨今、高校時代に全国優勝こそありませんでした。しかし、当時から旭富士(オチルサイハン)を知る先代師匠(元横綱旭富士、現宮城野親方)は、その強くなる予感を問われ、「もちろん」と即答されています。

「いい体をしていたし、稽古すればするほど、強くなるなとして思っていた。

「タイトルを取らなくても、ちゃんと相撲部屋で稽古を重ねていけば、強くなるというのを証明してくれたんじゃないですか。」

                              引用:日刊スポーツ

タイトルがなくとも、その秘めたる可能性と稽古への真摯な姿勢を認め、見抜いていた先代師匠の言葉は、旭富士(オチルサイハン)の才能と努力を物語っています。彼の今後の活躍から、ますます目が離せませんね。




オチルサイハン(旭富士)なぜ?四股名の由来は?

初土俵で名乗ることになった四股名、「旭富士 英毅 (あさひふじ ひでき)」。この名前を聞いて、相撲ファンならピンと来た方も多いかもしれません。

そう、これは旭富士(オチルサイハン)をスカウトし、約4年間熱血指導されてきた先代師匠・宮城野親方(第63代横綱・旭富士)が現役時代に名乗った、まさに横綱の代名詞です。

「史上最強の研修生」に託された横綱名

研修期間中から「史上最強の研修生」と呼ばれ、同部屋の関取衆と互角以上に稽古を積んできたオチルサイハン関の実力は、誰もが認めるところ。先代師匠も「一番強くなった」「一番稽古もよくやったから」と太鼓判を押すほど、その才能と努力を高く評価していました。

この期待の星に、先代師匠の代名詞とも言える横綱の四股名が贈られたのです。

 極めて異例の「デビューからの横綱四股名」

ここですごいのは、初土俵の時点でこの「旭富士」を名乗るという点です。

現大関の琴櫻関(祖父の四股名を継承)や、三代続いた若乃花関などの継承例はありますが、これらは大関や横綱に昇進するような、ある程度地位が上がったタイミングで襲名するのが一般的です。横綱の四股名を新弟子が名乗って初土俵を踏むのは、過去にハワイ出身の元大関・小錦関(当時の四股名は高見山)の例があるのみで、相撲界において極めて異例なことなのです!

師弟の絆と、二つの「旭」に込められた誇り

一般的に、横綱の四股名は「止め名」として永久欠番のように扱われ、継承には大きな重圧がかかります。それでも、先代師匠は「そんな決まりはないでしょ」と一切気にせず、オチルサイハンの能力と努力を心から高く評価し、この名を託しました。現師匠である伊勢ケ浜親方(元横綱・照ノ富士)も、「名前に負けないよう頑張ってほしい」と、大きな期待を寄せられています。

この「旭富士 英毅 」の「旭」には、もう一つ、師弟の絆を深める特別な意味が込められています。

  • 一つは、彼をスカウトし育てた先代師匠・旭富士の「旭」。
  • もう一つは、旭富士 (オチルサイハン)が留学していた神奈川・旭丘高校の「旭」。
  • 英毅 は後援者の方からの名前を頂いたそうです。

故郷であるモンゴル、そして日本で相撲を始めた母校の誇りも背負ったこの四股名には、師弟の絆と、相撲界への多大な期待が凝縮されていると言えるでしょう。

いよいよ本格的なスタートを切った新・旭富士の活躍から、目が離せません!この重い四股名と共に駆け上がっていく先に、相撲界の新しい未来が開かれるのは間違いないでしょう。




オチルサイハン(旭富士)と豊昇龍との稽古は?

伊勢ヶ濱部屋といえば、多くの幕内力士を抱える名門中の名門です。その部屋の力士たちでさえ、入門前の研修生だった旭富士(オチルサイハン)には歯が立たないと言われていたというのですから、その実力の高さはわかりますね。

しかし、彼の強さを決定づける、さらに衝撃的な出来事が2025年7月に起こりました。

名古屋場所直前、横綱・豊昇龍がまさかの出稽古!

横綱・豊昇龍が、伊勢ヶ濱部屋の名古屋場所宿舎に出稽古に訪れました。部屋の関取衆との激しい稽古が予想されましたが、そこで待っていたのは、まだ髷(まげ)も結っていない当時研修生であった・旭富士(オチルサイハン)との対戦でした。

誰もが横綱の貫禄勝ちを予想したはずです。

ところが――

伝えられるところによると、豊昇龍でさえ、旭富士(オチルサイハン)に負けを重ねてしまったというのです。まだ入門前の研修生に横綱が勝てなかったという事実は、相撲界に激震が走るほどの出来事でした。

自信喪失?そして途中休場へ…

研修生相手にまさかの大敗を喫した横綱・豊昇龍。この出稽古での屈辱が、彼の心に大きな影を落としたと言われています。あまりにも衝撃的な結果は、横綱の自信喪失につながり、その後の本場所での不調、そして途中休場にまでつながったのではないか、と囁かれるほどでした。

この一件は、旭富士(オチルサイハン)が単なる「有望な新弟子」ではなく、既にトップレベルの実力を持っていることを、図らずも証明してしまいました。

一番左が旭富士(オチルサイハン)です。

旭富士(オチルサイハン)の「史上最強の研修生」としてのエピソードは、デビューへの期待を最高潮に高めてくれるものばかりです。しかし、相撲の厳しさを知るファンなら、誰もが同時に抱く不安もあると思います。

それは、「逸材」と呼ばれた力士たちの、その後の道のりの難しさです。

記憶に新しいのは、やはり元関脇の逸ノ城。「絶対横綱になれる」とまで期待されながら、怪我やコンディションの波、そして最終的にはトラブルによって土俵を去ることになりました。また、若手の中でも特に期待されている熱海富士も、大関候補と目されながら、現在、勝ち越しと負け越しを繰り返す「低迷」と向き合っています。旭富士(オチルサイハン)のこれからの成長が楽しみですね。幕内で豊昇龍との取組みを楽しみにしています。




オチルサイハン(旭富士)の力士情報

高校を卒業し、伊勢ヶ濱部屋に入門したのは2021年のこと。実は、期待の若手である熱海富士とほぼ同時期に、部屋での生活をスタートさせています。

しかし、彼には大きな壁がありました。それは、「外国出身力士は1部屋1人まで」という規定です。

当時、伊勢ヶ濱部屋にはモンゴル出身の横綱・照ノ富士が現役で在籍していました。この規定があるため、新弟子検査を受けることができず、通常の「半年から1年」を遥かに超える、長い研修期間を過ごすことになったのです。

照ノ富士の引退、そして新たな試練

この状況が動いたのは、2025年1月場所。

照ノ富士が現役を引退したことで、ついに伊勢ヶ濱部屋の「外国出身力士枠」が一つ空きました。誰もが「いよいよデビューだ!」と胸を躍らせたはずです。

しかし、運命の歯車はさらに複雑に回り始めます。

 緊急事態!横綱・白鵬の宮城野部屋転籍騒動

2024年4月、元横綱・白鵬の宮城野部屋が不祥事により閉鎖され、親方と力士が伊勢ヶ濱部屋に転籍するという異例の事態が発生しました。

この転籍力士の中には、モンゴル出身の聖白鵬がいました。

相撲協会は、この聖白鵬と、もともと研修生だった旭富士(オチルサイハン)を「外国出身力士枠」として別枠扱いとするかどうかの判断を保留しました。このため、のデビューは再び足踏みを強いられることになります。

運命の解放!ついにつかんだデビューの切符

事態が大きく動いたのは、2024年5月場所後です。

白鵬親方(元横綱)が日本相撲協会を退職したことをきっかけに、聖白鵬との枠の調整が行われました。その結果、相撲協会は聖白鵬とは別枠扱いとして、旭富士(オチルサイハン)が新弟子検査を受検することを認めたのです。

2021年の入門から約4年。規定、横綱の存在、そして異例の部屋転籍騒動という数々の壁を乗り越え、ついに旭富士(オチルサイハン)は土俵に上がる切符を手にしました。

四股名 旭富士 英毅 (あさひふじ ひでき)
本名 バトツェツェゲ・オチルサイハン
出身地 モンゴル
生年月日 2002年5月17
身長 185cm
体重 150kg

引用:伊勢ヶ濱部屋H.P




まとめ

・高校時代と実力:2018年に来日し、神奈川県立旭丘高校(小田原市)で相撲を始める。
来日後に相撲を始めたにもかかわらず、高校2年で世界ジュニア相撲選手権に出場し、団体準優勝・個人3位に入賞。
全国制覇はないものの、先代師匠(元横綱旭富士)は「稽古すれば強くなる」と才能を高く評価していた。

・四股名「旭富士」の由来:先代師匠の横綱四股名「旭富士」を、初土俵から名乗るという極めて異例の抜擢。
「旭」には、師匠の四股名と母校・旭丘高校の誇り、二つの意味が込められている。

・「史上最強の研修生」の逸話:2025年7月の出稽古で、横綱・豊昇龍に勝ち越し、豊昇龍の途中休場の一因になったとも囁かれるほどの実力を持つ。

・デビューまでの苦難(4年間):2021年の高校卒業後、伊勢ヶ濱部屋に入門したが、「外国出身力士1部屋1人」の規定により、横綱・照ノ富士の現役中は新弟子検査を受けられず、長期間の研修生生活を送った。
照ノ富士引退後も、宮城野部屋の閉鎖による力士転籍(聖白鵬)で枠の調整が難航。
2024年5月場所後、相撲協会の判断により、聖白鵬とは別枠としてようやく新弟子検査の受検が認められ、土俵に上がる切符を手にした。

いかがだったでしょうか。
新・旭富士が背負う「横綱の四股名」は、最高の栄誉であると同時に、とてつもないプレッシャーでもあります。その期待に応え続けることができるのか。その答えは、これから始まる旭富士(オチルサイハン)の相撲人生の中にしかありません。

私たちはただ、その類稀なる才能が、相撲界の歴史を塗り替える瞬間を目撃できることを、心から期待して応援し続けたいと思います!

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