こんにちは、りんご桜です。
翠富士(みどりふじ)といえば、小兵ながら力強い相撲で人気を集める力士ですよね。
学生の時期の相撲人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。それでも、様々な経験を経て、相撲の世界に戻ってきました。そんな翠富士の学歴(小学校、中学校、高校)相撲部屋入門のエピソードを交えながら紹介していきます!
翠富士の学歴・小学校は?中学校は?~相撲との出会い~
翠富士は、1996年8月30日に静岡県焼津市で生まれ、育ちました。
2003年4月小学校入学。入学した小学校名はわかりません。
相撲との最初の出会いは、小学校2年生のとき。地域の相撲大会で準優勝を果たし、悔しがる翠富士を見て、母親が「やいづ相撲クラブ」に通わせ始めたそうです。
しかし、当時の翠富士は相撲が好きではなかったとか。
「お尻出すのはずかしいな」と思っていたそうで、渋々相撲をやっていたようです。想像すると笑ってしまいますが、大会で悔しがったことを考えると、負けずきらいなんでしょうね。
2009年4月浜松市立篠原中学校に入学します。
中学生になり、思春期を迎えた翠富士は、「相撲ってダサい」と思い始め、1年生の夏休みに相撲から離れてしまいます。友達と海に行ったり、カラオケに行ったりと、楽しい日々を送っていたようです。
翠富士の学歴・高校は?
2012年4月沼津市にある私立飛龍高校に入学します。
中学生の時、高校進学を考えた翠富士ですが、成績があまり良くなく、進学を諦めかけていました。そんなとき、たまたまテレビで高校の文化祭の様子を見て、高校に行きたいと思うように。しかし、推薦でないと入れる高校が見つかりません。
そんなとき、沼津市にある飛龍高校の相撲部の先生からスポーツ推薦の話をいただいたのです。再び相撲の世界に戻ることになった翠富士。
通っていた飛龍高校は、相撲の強豪校として有名ですが、部活の雰囲気はアットホームで、とても楽しい高校生活を送っていたそうです。練習はもちろんハードだったと思いますが、仲間との絆を深め、青春時代を謳歌していたんですね。夢だった文化祭もきっと楽しめたのでしょう。
卒業を控え、翠富士は大きな決断を迫られました。
大学に進学するか、プロの力士になるか、それとも一般企業に就職するか。
3つの選択肢の中から、彼は相撲部のある大阪の近畿大学に進学することを選んだのです。
高校卒業後すぐにプロの道へ進む人もいる中で、なぜ大学を選んだのか?その理由は、翠富士関自身がプロとしてやっていけるか、まだ自信が持てなかったからだそうです。まずは大学で自分の力を試したい、そう考えたのですね。
この決断は、翠富士関の将来を大きく左右するものでした。もし、大学に進学せずにすぐにプロの道を選んでいたら、今の翠富士は誕生していなかったかもしれません。
翠富士のように、一度立ち止まって自分を見つめ直すことも、時には必要なのかもしれません。
翠富士の学歴・大学は?
2015年4月、近畿大学入学・相撲部入部します。
大学相撲部に入部後、想像をはるかに超える厳しい世界に飛び込みます。早朝からの起床、40人分の食事作り、綿棒を使った細かい掃除など、雑用はつきません。さらに、先輩後輩の関係が厳しく、付け人として先輩のサポートに追われる日々を送りました。
1年生では全国学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級で優勝の実績を残しました。
また、相撲部の先輩には、のちに大関となる朝乃山(あさのやま)がいました。朝乃山は、コンビニにカフェオレを買いに行かせた後、「おまえの分も買っていいぞ」と優しく声をかけてくれるなど、面倒見の良い先輩だったそうです。
2年生になり、後輩が入部してくるにつれ、少し余裕ができた翠富士は、将来について真剣に考えるようになりました。大学を卒業してからも、プロの世界では幕下15枚目からのスタート。このまま大学に残ってタイトルを獲得しても、プロ入り後のスタートラインは変わらないことに気づきます。
「だったら、今すぐプロの世界に入れば、3年間でその位置まで行けるのではないか」
そう考え、大学2年の6月に大学を辞めてプロの力士になることを決意します。
きっと、高校の時には、持てなかった自信が持てたんでしょう。あのとき、1度立ち止まってよかったですね。
翠富士の学歴・相撲部屋は?~大学を辞めてプロの道へ~
翠富士は、伊勢ケ濱部屋に所属しています。
翠富士は、大学2年の6月に大学を辞めて、地元に戻り、友達と過ごすうちに気持ちが揺れ動き始めます。
「やっぱり地元は楽しいな。力士にならず、ここで働いてもいいのかな……?」と考えるようになりました。
そんな折、翠富士の20歳の誕生日に、伊勢ケ濱親方(第63代横綱・旭富士)が静岡を訪れます。その日、翠富士は地元の友人と過ごす予定でしたが、親方から「少し話したい」と頼まれ、話を聞くことに。
母親や高校時代の恩師も同席する中、親方は翠富士に「伊勢ケ濱部屋に入門しないか」と誘います。しかし、翠富士は伊勢ケ濱部屋に対して厳しいイメージを持っていて、断ろうと考えていました。
「ここに入らない理由は何だ?」と問われた翠富士は、一つ一つ理由を挙げますが、親方にすべて論破されてしまいます。親方は「今日俺は、いいと言うまで帰らないから」と、粘り強く勧誘を続けます。
携帯電話には友人からの着信が鳴りやまない中、翠富士はついに決断します。
「わかりました。伊勢ケ濱部屋に入ります」
もし、親方が翠富士の誕生日に訪れていなかったら、彼は伊勢ケ濱部屋に入門していなかったかもしれません。この出会いが、翠富士の相撲人生を大きく変えたのです。翠富士は力士になる運命だったとこのエピソードを知った時、思いました。
まとめ
* 小学校2年生:地域の相撲大会で準優勝
* 2009年:浜松市立篠原中学校に入学
* 中学1年生の夏:相撲を辞める
* 2012年:飛龍高校に相撲部推薦で入学
* 2015年:近畿大学に入学、2年生でプロを目指し、退学。
* 誕生日という特別な日に、運命の出会いが。
伊勢ケ濱親方が翠富士は地元にスカウトにきて、説得され、入門を決める
いかがだったでしょうか。
こう振り返ってみると 翠富士の心の変化がよくわかりますね。
周りの目を気にしたり、友達と遊んでいるほうが楽しかったり、とても親近感がわきます。相撲部屋に入門を決め、腹を括ってからは、まっすぐに相撲と向き合い励んできた結果が、「今」なんでしょう。翠富士の今後の活躍も楽しみですね。注目していきましょう!