こんにちは。りんご桜です。
2025年初場所から42代式守伊之助(しきもりいのすけ)が39代木村庄之助に昇格します。
大相撲において、結びの一番を裁く立行司。その最高峰に立つ木村庄之助(きむらしょうのすけ)を徹底解説します。式守伊之助の時と何が変わるのでしょうか?39代木村庄之助・給料どこからでる?年収は?装束は?式守伊之助との違いは?また、どんな方なのでしょうか。解説していきたいと思います。
39代木村庄之助・給料どこから?年収は?
木村庄之助は相撲部屋に所属していますが、力士同様、給料は日本相撲協会から支給されます。
木村庄之助の年収は?
木村庄之助の年収は1000万円以上と推測できます。
木村庄之助の月給は?
木村庄之助の月給は、一般的に40万円から50万円程度と言われています。これを単純に年収に換算すると、約500万円となります。しかし、木村庄之助の収入は月給だけではありません。
装束(衣装)代と手当も収入源
* 装束(衣装)代: 一場所につき約5万円の衣装代が支給されます。
* 手当: 手当の額は公表されていませんが、一番下の序の口行司で約12万円前後と言われていることから、立行司の木村庄之助の場合は、90万円から100万円程度と推測できます。
木村庄之助の年収と横綱の年収を比較
では、木村庄之助の年収は、相撲界の最高位である横綱の年収と比べてどうなのでしょうか?日本相撲協会から支給される横綱の年収は、3000万円以上と言われています。木村庄之助の年収と比較すると、横綱の年収の方がかなり高いことが分かります。
木村庄之助の年収は、立行司としての地位と、その仕事内容を考えると、決して安いものではありません。ただ、相撲界の顔とも言える横綱の年収と比べると、やや低いと言えるかもしれませんね。
39代木村庄之助の装束を徹底解説!
木村庄之助の装束の特徴
木村庄之助の装束は、四季折々の変化を感じさせるのが特徴です。
* 素材: 夏は涼しげな浅薄地、冬は保温性の高い絹厚地と、季節によって素材が使い分けられています。
* 菊綴: 装束のあちらこちらに施された菊綴は、立行司の象徴的な飾りです。
* 足元: 白色の足袋に草履というシンプルな組み合わせながらも、所作の美しさを際立たせます。
* 小物: 左腰には短刀、右腰には印籠と、武家文化を感じさせる小物を携えています。
* 軍配: 紫色の軍配は、菊綴と同じ色で統一され、立行司としての品格を漂わせます。
木村庄之助の装束は、長い歴史と伝統の中で培われた美意識が凝縮された芸術作品だと思います。そして、素材、飾り、小物に至るまで、細部にまでこだわりが感じられますね。じっくり拝見してみたいですね。
39代木村庄之助と式守伊之助との違いは?
木村庄之助と式守伊之助、その違いとは?
* 地位: 木村庄之助は行司の最高位で、式守伊之助はその次です。この2つの名前は、立行司名です。力士の番付で例えると、横綱と大関のような関係と言えるでしょう。
* 昇格の仕方: 木村庄之助が空位になると、式守伊之助が次の木村庄之助に昇格します。一方、式守伊之助が空位になると、その下の「三役格行司」の人が昇格して伊之助を襲名します。
* 裁く取組数: 木村庄之助は本場所では結びの一番だけを裁きますが、その他の行司は1日2番を裁きます。
* 装束の菊綴と軍配の色: 木村庄之助の菊綴と軍配の色は紫、式守伊之助の菊綴と軍配の色は白になっています。
なぜ木村庄之助が最高位なの?
木村庄之助が最高位である理由は、歴史的に見て木村家が長い間行司を務めてきたことや、その家系の重みなどが考えられます。
39代め木村庄之助は誰?
2024年11月場所まで42代式守伊之助が2025年初場所から39代木村庄之助に昇格します。
北の富士の一言が導いた、立行司の道
「君は行司に向いているね」
この、北の富士の一言が、39代・木村庄之助の人生を大きく変えました。小学3、4年頃から相撲を好きになった庄之助は、横綱として活躍していた北の富士に憧れ、行司になりたいと手紙を書きました。そして、北の富士から直接「向いているね」と声をかけられ、九重部屋への入門を決意したのです。
北の富士との出会い
北の富士との出会いは、にとって運命的なものでした。憧れの力士から直接、自分の才能を認められた喜びは、どれほどのものだったでしょうか。北の富士の「厳しさ、優しさ、懐の深さ」は、庄之助の心に深く刻まれ、今の庄之助を形作る上で大きな影響を与えたはずです。
80歳の傘寿を祝う会での出来事
北の富士の80歳の傘寿を祝う会で、庄之助は番付の書き手を務めました。そして、北の富士へ、表に「福寿」、裏に同世代の横綱たちの取組を書いた扇子をプレゼントしました。この扇子に書かれた美しい文字を、北の富士は「いい字を書いているな」と褒めてくれたそうです。
北の富士との別れ
北の富士の逝去は、庄之助にとって大きな悲しみだったことでしょう。しかし、北の富士との数々の思い出は、庄之助の心の支えとなっているはずです。北の富士から受け継いだ「厳しさ、優しさ、懐の深さ」を胸に、庄之助はこれからも立行司として活躍されると思います。
<39代木村庄之助のプロフィール>
行司名 木村裕司→ 木村恵之助→ 木村恵乃助→ 木村武蔵→ 木村恵之助→ 3代木村容堂→ 42代式守伊之助→39代木村庄之助
本名 洞澤 裕司(ほらさわ ゆうじ)
生年月日 1961年10月30日
出身地 東京都府中市
所属部屋 九重部屋引用:wikipedia
【令和6年9月場所・思い出】
今夜は9月場所の思い出を色々と…。次に1月場所に行く時は、もうこの紫x白の房・菊綴じゃないんですものね…。
写真に納められてよかった(^.^)。#式守伊之助 #九重部屋#九月場所 #行司#大相撲 #sumo pic.twitter.com/FUT0PpzPKV— 越の光 (@osumo_mayu) October 2, 2024
まとめ
* 給料は日本相撲協会化支給
* 年収は1000万円以上と推測
* 木村庄之助の月給は40万円から50万円程度
*装束 代や手当も収入源
* 木村庄之助の装束は、菊綴が、立行司の象徴的な飾り
* 菊綴と軍配の色が紫
* 木村庄之助と式守伊之助は立行司名である
* 木村庄之助が最高位で、式守伊之助がその次
* 裁く取組の数や昇格の仕組みが異なる
* 北の富士の一言が、伊之助の人生を変え、行司の道へ進んだ
いかがだったでしょうか。
結びの一番を裁く立行司の最高峰に立つ木村庄之助。その華麗な所作と品格ある姿は、相撲観戦の醍醐味の一つです。
また、木村庄之助の他にも、立行司の名前にも注目してみると、より一層相撲を楽しめるかもしれません。