對馬洋の四股名の由来・読み方は?イケメンな振舞とは?学校は?力士情報

こんにちは。りんご桜です。

私の中で、今後、活躍期待度100%の力士・對馬洋(つしまなだ)。

入門してから6年半かかり関取になり、遅咲きながらも一歩づつ確実に昇進してきました。またイケメンぶりも話題になっています。今回は、そんな對馬洋の四股名の由来、読み方、イケメンな振舞、学校、力士情報をお届けします。

對馬洋の四股名の由来は?読み方は?

四股名は『對馬洋 勝満』と書いて「つしまなだ まさみつ」と読みます。

下の勝満は本名ですが、對馬洋はどのようなことが四股名の由来が気になりますね。

この對馬洋の四股名の由来には明治大正時代に活躍した同じ故郷の長崎県出身の大関・對馬洋が由来になっているようです。

對馬洋弥吉(本名:川上弥吉)は、対馬で初めて大相撲の大関になった力士です。

1887年(明治20年)に旧下県郡久和村(厳原町久和)で生まれました。20歳になり兵役で対馬要塞砲兵大隊に入隊しましたが、当時の師団長から体格の良さを理由に力士になることを勧められ除隊し、1908年(明治41年)に出羽ノ海部屋に入門しました。身長190cm・体重105kgと大変体格の良い男性でした。明治33年の17歳男性の平均身長が157cmなので、相当な大きい男性だったのがわかりますね。
故郷の長崎県では100年経った今も地元の対馬國後援会が送った化粧まわしが保管されているようです。

その大関・對馬洋のような力士になってほしいという願いと対馬市出身の父親にちなんでその四股名を受け継いだそうです。
本人は長らく大関・對馬洋の親戚だと思っていたようですが、調べたところ全くの無関係だったのだそうです。

なんだか歴史のある四股名でロマンがありますね。出身地が一緒なんて縁を感じてしまいますね。

 

對馬洋のイケメンな振舞とは?

2023年1月場所のこと。
6場所ぶりに十両へと復帰した朝乃山との対戦となった對馬洋。
この日の取組では立ち合い呼吸が合わずつっかけてしまうと、對馬洋は瞬時に「すいません」とはっきり聞こえる声で謝罪をしていた。謝る際、對馬洋はしっかりと朝乃山の目を見て一礼しており、礼儀正しさもうかがえる一幕だった。

引用:2023年1月12日ameba TV

つっかけた際に瞬時に謝罪をした對馬洋に、ファンからは「對馬洋かっこいい」「美男子という感じのイケメンっぷり」といったコメントが相次いだそうです。しっかりと目を見て一礼したという所作が美しかったのでしょう。ピンチの時にこういうことができると、ますますイケメン度アップしてしましますね。

 

對馬洋の学校は?(出身校)

2000年4月、長崎県の諫早市立湯江小学校に入学。4年生で地元の相撲道場(両国少年相撲クラブ)で相撲を始めます。

2006年4月に、入学した諫早市立高来中学校ではバスケットボール部に所属していましたが、部活引退後に相撲の大会に出場したところ、勝ち進んでに全国中学校相撲選手権大会に出場したことをきっかけに、高校の相撲部から勧誘され、2009年4月、諫早農業高校農業土木科に進学し、相撲部に入部しました。在学中は、高校総体や国体少年の部に出場しました。

高校卒業後、2012年4月、日本大学文理学部体育学科に進学し相撲部へ入部しました。

1年生で、東日本学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級優勝、2年生で東日本学生相撲競技会優勝、3年生では東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級の優勝と実績を積みあげていきました。しかし、4年生では、日本大学選抜相撲宇和島大会で左膝半月板損傷、左膝前十字靭帯損傷の大けがをし、さらに東日本学生相撲個人体重別選手権大会で怪我を悪化させたため以降の大会には出場できませんでした。

とんとん拍子できた学生時代ですが、最後の最後に大けがをして、悔しい思いをしたことでしょう。

 

對馬洋の力士情報

大学卒業後は、諫早農業高校相撲部OBが経営する企業に就職ししましたが、大学同期の木﨑信志(美ノ海(ちゅらうみ))の大相撲入りに刺激を受けて自身も大相撲入りを決意しました。

勤務先の会社の社長からも後押しを受けて諫早農業高校・日大OBの元小結・両国(りょうごく)が師匠を務める境川部屋に入門しました。

やはり、力士になりたかったのですね。後押ししてくれた社長。對馬洋は、愛され、いろんな方が応援してくれているのがわかりますね。

新弟子検査は年齢制限となる23歳を迎える直前の2016年5月場所前に受検して合格したので、公式記録上は同場所が初土俵となっていますが、、この場所は左膝前十字靭帯断裂のため休場してしまいました。

まさか、初土俵からけがで休場してたとは、びっくりです。

<對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ)のプロフィール>

四股名   梅野 → 對馬洋
本名    梅野 勝満
愛称    ウメ、マサミツ
生年月日  1993年6月27日(31歳)
出身地   長崎県諫早市
身長    185.0cm
体重    143.0kg
所属部屋    境川部屋
最高位       東十両9枚目

 

まとめ

・四股名の読み方は『對馬洋 勝満』と書いて「つしまなだ まさみつ」

・對馬洋の四股名の由来には明治大正時代に活躍した同じ故郷の長崎県出身の大関・對馬洋 弥吉が由来になっているようです。下の名前 「勝満」は本名から。

・2023年1月場所で、朝乃山との対戦となった對馬洋。
この日の取組では立ち合い呼吸が合わずつっかけてしまうと、對馬洋は瞬時に「すいません」とはっきり聞こえる声で謝罪をしていた。目を見て頭を下げた振舞が、礼儀正しくイケメンすぎると話題になりました。

・2000年4月、長崎県の諫早市立湯江小学校に入学。4年生で地元の相撲道場(両国少年相撲クラブ)で相撲を始めます。
2006年4月に、入学した諫早市立高来中学校ではバスケットボール部に所属していましたが、部活引退後に相撲の大会に出場したところ、勝ち進んでに大会に出場したことをきっかけに、高校の相撲部から勧誘されます
2009年4月、諫早農業高校農業土木科に進学し、相撲部に入部しました。
高校卒業後、2012年4月、日本大学文理学部体育学科に進学し相撲部へ入部しました。

・諫早農業高校相撲部OBが経営する企業に就職ししましたが、大学同期の木﨑信志(美ノ海(ちゅらうみ)の大相撲入りに刺激を受けて自身も大相撲入りを決意。諫早農業高校・日大OBの元小結・両国(りょうごく))が師匠を務める境川部屋に入門しました。

いかがだったでしょうか?
力士に、けがに悩まされていますが、がんばっているのがわかります。同じ境川部屋(さかいがわ)でほぼ同期の平戸海(ひらどうみ)は、かなり意識しているようですね。
大正明治に活躍された對馬洋のように三役をめざして、まずは、幕内力士になれるようがんばってほしいですね。

 

 

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